発達が気になる子どもたちの日常と臨床応用

日々の生活にある学びと明日から実践できる療育支援のヒント

「個性」と「特性」は紙一重であり、連続体である。

先日は、定期的な地域の療育センターでの再診でした。

 

ひとつの話題として挙げられたのは、TWINS弟さんの「注意・実行機能」のアンバランスさの問題について…

まぁ過去の記事にも書いてます↓↓

 

developmental-pt.hatenablog.com

 

小学校の高学年になると、複数のtaskを処理する必要がありますし、質・量ともにある一定の能力が求められてしまいます。

 

「自立」して行うには視覚支援や物理的な環境の構造化は必須ですし、作業や学習の定着には時間を要しているのが現状です。

 

良く言えば、合理的な配慮があれば、「自立」「学習」ができることも多いのです。

あえて悪く?言えば、「ちょっとした変化にパニックになったり、ストレスを抱えやすい」と言えます。

 

年齢が上がると共に行動範囲も増えてくるし、社会的役割、関わる人も増えてきますので、一つひとつの行動や起きた事象について評価/アセスメント、支援方針/内容…と進めることやリアルタイムに解決していくことの難しさを感じることもあります。

 

 

「子離れ」のタイミング?と思ったりもしますけど…。

 

まぁ何の話をしたいか…と言いますと

そのリアルタイムに解決していくことの難しさにより、子どもが何らかの不利益や損していると感じてしまう(例えば、𠮟責や上手くできないことによる自己肯定感の低下等の二次的な問題が生じる)ならば、「お薬」によるコントロールもひとつの選択肢としてどうか?という議論を主治医としたからです。

 

本人がある事象について「問題」と認識していなかったり、「困難さ」を感じなければ、それは「個性」のひとつかもしれないですし、周囲の合理的な配慮も含めた適切な支援や環境調整があれば、これもまた「個性」の一部になり得ます。

でも、ある種の「特性」は持っているし、顕在化していないだけかもしれません。

 

私は、「お薬」についても一定の知識や理解もあると思っているのですが、いざ自分の子どもに…となると、その判断には迷いが生じます。

 

まぁゆっくり考えていこうかなと思います。